2005年03月20日

我が愛しの音色

よっぽど、この音に飢えていたらしい

この柔らかくも硬質な、時に刺々しく、時に優しく丸くなる音が
剥き出しの心に突き刺さるように滲み込む

Chopin Nocturne No.20

教室の後ろに人が残っているのを知りつつ、
こんな所でマズイな…と思いながら、
溢れてくる涙が押さえられずに、寝るフリをして顔を隠す

何が哀しいわけでもない
ただ、何年も会えずに求め続けた人にやっと会えたような…

そう、やっと…会えた、そんな涙が零れて止まらない


キラキラとした曲を聴く
やっと涙がおさまる

Schubert Impromptu op.90 no.3

…おさめたはずの涙がまた勝手に出てくる
もう、勝手にしてくれ
普段なら聞き流していた曲なのに、なんでこんなに涙が出るんだ…



この1年ほど、私は敢えてこの音を聴かないようにしていた。
聴けばきっと、指が鍵盤を求めて止まなくなる事が
分かっていたから。


物心ついた頃から、ピアノはそばにいた。
私がまだ小さかった頃、そばにいたピアノも小さかった。
子供用の、オクターブも3つあるかどうか
…本当におもちゃ程度のもの。
別に最初から好きだったわけでもない。
あてがわれたから、それで遊んでいただけ。


いつの頃からだろう、この音色を必要としはじめたのは。
こんなにもこの音を自分が必要とするようになるとは
思ってもいなかった。

そんなことを考えることもないほど、この音色は常にそばにあった。


独り暮らしを始めて、初めてあの音色から遠く離れた。
私の生活はどこか変わった。


形だけは朝が来て夜になる。
形だけはCDからこの音色が流れ、形だけは指は鍵盤を押している。
けれど、どこか違うのだ。
響きも、重みも、そこに流れる感情も。

アパートに黒塗りのピアノを持ってくるわけにもいかず、
代わりに電子ピアノを持ち込んだが鍵盤が軽すぎる。
音が薄っぺらく軽薄に響く。音が耳を引っ掻く。
気持ちが入り込めない。
そもそもオクターブさえ足りなくて、弾きたい曲も弾けやしない。

何かが違う気がしていた。何かが足りなかった。
けれど、まだ形だけでも代わりがあるうちは良かった。

ある時を境にして、それすらなくなった。

部屋の中で独りだった。

PCでCDをかけていてもただ虚ろに響くだけ。
よけいに独りを感じさせる。
いや、1人ですらなかった。自分の中の何かが欠けていた。


普段、感情を表に出さない私にとって、
ピアノは私の感情そのものと言ってもいいほど私の一部になっていた。

乱読家のわりに特に文章表現が上手いわけでもない。
そもそも文章を書くこと自体が苦手で、
これだけ長々と書くことができるのはネット文章くらい。

絵を描くといってもしょせん落書き程度のもの。
たまに衝動的に描きたくなることはあっても、
自分でもよく分からない感情をぶちまけて、
本当に気持ちの満たされる絵を描くことができたのは
ほんの1、2回しかない。
ほとんどは描きかけのまま放置。

唯一自分の感情のままに他のことを忘れて没頭できるもの、
心ゆくまで我を忘れることができるもの、
それがピアノだった。


部屋の中が空虚になってから、あまり家に帰らなくなった。
まぁ、ピアノ以外にも原因はあった。
前に書いたこととか、その他いろいろと。

その頃からのような気がする。
ピアノがあったところであのままいけば、
そのうちどこかで成り立たなくなっただろうけれど、
あの頃から自分の中のどこかでバランスが崩れ始めた。
自分の中の基準も崩れ始めた。
それまで自分の中で流れていた時間が変わり始めた。


それが最頂点だったのが、あの自己開発の時期であり
あれから数ヶ月かかってやっと今の軌道にまで戻ってきた。


そして今。

この1年、まともにピアノを弾けたのは片手に入るほど。

数ヶ月も鍵盤に触れていない指はそう簡単には動いてくれない。
指慣らしに1時間以上はかかる。

実家には受験生がいる。こんな音、聞かせられない。
いくら鈍感で楽天的な私でも、
受験の頃、普段よりは少々神経質だったようで、
たまに勉強している最中に他の音が聴こえてくると、
少しでも音色が合わないと気になって仕方がなかった。

…他のことは別に気にしたこともなかったのに。


今、実家に帰ってもピアノが弾けるのは
当の受験生がいないほんの数時間だけ。
たったそれだけじゃ数ヶ月分も取り戻すことなんてできない。
新しい曲を始めることなんて論外。

最近は、実家に帰ってもあえてピアノを避けていた。
触れれば自分を抑えられなくなりそうで、怖くて。
怖くて、ピアノの上に溜まっていく埃さえ、敢えて見ないでいた。

こんなに近くにいるのに触れることもできない
触れればきっと弾いてしまう
自分を抑えられずに何時間でも、何日でも。

それができない自分が空しい…

近くにピアノがあってもそんな状態。
CDなんて聴きもしなかった。
ずっと、この音を忘れたふりをしていた。

でも、やっぱりどこかでこの音色を求めていた。



全く、誰だよちょうどタイミングを見計らったかのように
こんなの持ってきたのは。

ここしばらく指が鍵盤を求めてばかりで
文章をまともに打とうともしない。
頭の中はこの鍵盤の音ばかり。
皮膚科用語なんてこの音色に流されてふわふわ漂ってばかり。


この音色を愛している?

…分からない。
そんな対象として考えたことがなかったから。
そんなことを考えることもないほど、この音色は私の傍にずっといた。
物心ついた頃から、ずっと。

それまで理屈と理性で生きようとしていた私にとって
それを補う私の感情そのものであり、私の一部。
そうとしか言いようがない。

今の私が求めているもの、指が恋しがっているもの、
ただ、そうとしか言いようがない。

…それだけで充分じゃないか?




一言だけ言っておく。

私にとって「愛しいもの」と「愛するもの」は別の概念。

「愛しいもの」とは、
自分にとって愛着のあるもの、
自分が守りたいと思うもの、
受身的な対象に憧れ、恋し、手に入れたいと思うもの、
愛するものに比べて、やや自分の一方的な想いの強いもの

「愛するもの」とは
自分が必要とするもの、
守りたいと同時に守って欲しいと思うもの、
自分と同等の立場で尊敬し、共感し、渇望するもの、
愛しいだけでは収まらない、対象の気持ちをも欲するもの

私にとって、
ピアノとはただの愛着ではなく必要としているもの。

こちらが動かなければその音が生まれることがないという
受身的な存在という点で
敢えて「愛しの」という形容詞にあてはめた。
他に「愛しの」というタイトルに収まりそうなものがなかったので。

蛇足ながら、そう付しておく。
posted by Katie at 22:35| Comment(0) | TrackBack(1) | ピアノ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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